素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

b.今思うこと

戦争を知らない子供たち

1970年、「戦争を知らない子供たち」という歌が流行った。当時私は12歳の小学六年生。今から思えば、世間は安保闘争やベトナム戦争があり、まだ立川に米軍基地があったころ。しかしいたってのんびり……というか、父親が次々に与えてくる本を片っ端から読み…

大切な言葉

大切な言葉というものがある。 いわゆる「いい言葉」のことを言っているのではない。 近年私にとって印象的な「大切な言葉」の一つは、ちょうど1年ぐらい前に聞いた。 両国移転が決まったとき、それについて説明もおよそ不十分だった中で、当時の高等課程の…

場所

今日は4月の最初の日曜日です。 以前紹介した「場を作る」卒業生の「場所」が、いよいよ完成・開店間近のようです。リノベーション・ブログは今日の記事で終わりだそうです。ご紹介しておきます。 ほんとうに開店がまちどおしい。 そうそう、ユウには、1月…

母の「思い出話」

私の母は文化学院女学部の卒業生です。西村伊作が校長だったころ、日本文学は与謝野晶子、英文学は若き西村アヤの授業を受けました。戦前の、学院が廃校になる前の話です。その後、卒業後間が空いてのことですが、高等課程で手工芸の講師をしていました。 私…

くちびるにことばを

1年前の卒業生の話をします。 高等課程文芸コースの生徒でした。この学年は、とても「散らかった」学年でした、今となってはいい意味で!(笑)学院の子は、マイペースで、一人で動くことが多いですが、まさにそれ。たまたま行く方向が同じならば一緒にやる…

「場」をつくる

10年ぐらい前の卒業生の話をします。 高等部美術科の学生でした。その学年は、「個性」というものが外に向かって吹き出てくるタイプの学生が多くて、授業が終わるといい意味でどっと疲れたものでした。(まあ、世間でいう「個性的」な人が多かったわけです…

「あの日」

前日の夜は、卒業生のピアノリサイタルでした。音楽会などに行くと、携帯の電源を切って、そのまま余韻に浸って忘れてしまうことが多々あるわたくし。その日もそうでした。やっと思い出して携帯の電源を入れたのは、夜11時をとうに回って、シンデレラがそ…

「今」が大切

この間高等課程1年生に、「夢はなんですか?」と聞かれました。 とりあえず、「人形の個展を開くこと」という、近く具体的な夢を答えたけど、一つ、大事な夢があります。 「あと2回、文化学院高等課程と非常勤講師の契約を結ぶこと」 非常勤講師は4月~3…