素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

「今」が大切

この間高等課程1年生に、「夢はなんですか?」と聞かれました。

とりあえず、「人形の個展を開くこと」という、近く具体的な夢を答えたけど、一つ、大事な夢があります。

「あと2回、文化学院高等課程と非常勤講師の契約を結ぶこと」

 

非常勤講師は4月~3月までの1年契約です。私はそれを、約25回繰り返してきました。あと2回、あと2年、この契約が結べますように、さんたまりあ。

 

このブログを立ち上げた理由は複数あるのですが、一つは、私自身の大人げなさです。

FaceBookで古い卒業生たちが、「文化学院はもう変わってしまった」「すでに終わったも同然」と書いていると、つい、猛反撃してしまうのです。

彼らがかつての記憶を愛し、学院をアイデンティティのよりどころの一つとし……それはとてもとても大切で、私にとってもうれしいことです。

それなのになぜ反撃してしまうかと言うと、今も学院には、かつての彼らのようなやわらかな10代たちがいて、私は、かつてと同じ楽しさで、今をすごしているからなのです。

 

1988年に文化学院の講師になってから、歴代の素敵な10代と過ごしたすべての時間にかけて、「今」私にとって一番大切なのは、「今」学院にいる10代の子たちです。

 

あと2年して、「全員が卒業生」になったら、こういうエコヒイキはなくなります。しようったってできません。

なので、大人になったかつての10代たちには、ほんとうに申し訳ないけど、昔はよかったではなく、今の学院がサイコー!って言う私を、温かい目で見守ってください。それはあなたたちの最後の後輩たちを見守ることにもなると思う。

 

私はあいかわらず「大人げない」。大人にならないまま55年生きてきたのが、私の大きな欠点であり価値であるので、直らないと思うし、直さない。ごめん、ほんとごめん。

 

でも、他人様のウォールで「反論してしまう」ではなく、空気読まずに「自分の思っていることをきちんと言」ってこそ、大人げなさの真骨頂と言うべきです。

めざせ大人げない大人の完成形(?)

 

言葉のボールは、人に向かって投げるのではなく、自分の真上に投げあげて、自分で受け止める。「書く」ことの出発はそこだと、つねづね思っていたのでしたっけ。