素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

知られざる銀河


これは「場を創る」だった。

劇団memento moriの二つの上演。

音楽と映像と立体的に組まれた舞台。
美しいチラシとパンフレット。チケット、無料だけどモギリや車掌が迎えてくれる。
そして洗練されたカフェ。


卒業修了展は、在校生の一年間の成果を見せるイベントだが、今回はすでに卒業している面々が主体となったの出し物もあった(在校生もキャスト・スタッフで参加)。
それが、「劇団memento mori」という一つの体に二つの朗読劇を包んだ双頭の生物である。
双頭は、在学中に朗読劇の歴史を遺した二人の卒業生。


朗読劇の日程は二日間だった。在校生の『昼行生』は二日間、memento moriは、一日目に『知られざる傑作』、二日目に『銀河鉄道の夜』を一回ずつ上演した。


双頭なのでそれぞれ別物として観たのだけれども、memento moriの胴体、傾向の違うアタマが共有した部分が、「場を創る」だったと思う。


脚本そのものは、原作があるものなので「その作品を脚本家がどう読み解くか」の楽しみにかかっていた。
そして劇団memento moriは、その世界観を、空間自体を作ることで見せようとしたのだ。

最初に書いたようないろいろなものが組み込まれ、その並びや間隔が生み出す空間の密度や……背景から小物一つ一つまで、周到に準備され、配置されていた。
たとえば一戸建ての家一軒まるまるで構成されているのを見たいなあ、扉を開けると次の場面……その家で一日過ごしたいなあと思わせる。そういう疑似空間、静かなアミューズメントパークだった。


これが可能なのは、これが卒業生選抜によるものだからだ。
一人一人が自分の一芸……それぞれの表現手段、それぞれの表現欲求を持ち寄って、結集したから。結集させたことそのものが双頭の「表現力」だと私は思う。


あえて多様な要素のうちから私の「個人的好み」に響いたもの……こういうのが「琴線に触れる」というのかな、を抜き出すと、『知られざる傑作』の背景と、『銀河鉄道の夜』の音楽だった。


前者は、プロジェクターで映し出されているのだが、直線で引かれた、室内の「奥行」だ。部屋の四角い奥行と、いくつかの四角い窓(天窓)。その窓の外に、歯車のように回る……太陽。太陽は異動し、時間の経過を表しつつ、内容の展開を象徴する。
後者は、シンプルで奇妙なピアノ曲(舞台の後ろで弾く演者が少しだけ見える生演奏)。不規則に並んだ音が、星座の様でもあり、地上と天上、此岸と彼岸、彼と我、そういう「点」とそれぞれの距離を感じさせる。


両方とも、作品に必要な「空間」を、背後で絶妙に作り上げていた。
その中での、「言葉」による朗読劇が成立した。

 


卒業生選抜たちの完成度、在校生全員たちの必然。
構築された世界は、異質であった。
互いに異質であることは互いの個性であり、個性とは自然である。


いうなればそれがそのまま同じ建物に存在していた二日間が、文化学院というbaseの持つ可能性だったろう。