素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

場所

今日は4月の最初の日曜日です。


以前紹介した「場を作る」卒業生の「場所」が、いよいよ完成・開店間近のようです。
リノベーション・ブログは今日の記事で終わりだそうです。
ご紹介しておきます。


ほんとうに開店がまちどおしい。


そうそう、ユウには、1月に高3の家庭科のときに講師で来てもらって、「場を創る」ことについて話してもらいました。とてもよかったです。
自分の感性にきちんと意識的になって、イマジネーションと現実とに向き合っていく。そして、意識的であったからこそ、自分の選びとってきたものを言葉にして、短時間に伝えてくれることができた。
素敵だ。

 

 


片や学院は、今日も常勤の先生方は出勤して、引っ越し作業をしていらっしゃいました。<(_ _)>

これは外側にいるバイトの私では察するにあまりあるいろいろだと思います。

 


学院の移転は客観的に良い要素はないっすよね。


それでもそこには「場を創る」ことは存在する。
「創る」がゴツければ、編むでも織るでも広げるでも曲げるでも飛ばすでもなんでもいいけど。


それはやっぱり楽しみだったりします。
別に自他の感情を言いくるめようとしているわけではありません。
そうしたくなかったから、たとえば公開質問状とか「もの申す」を大切にしたのですから。ああいうことをきちんとしないで、すぐに創造的なとか有意義なとかの方に向かうと、自分の「感情」にどこか嘘をつくことになるからです。
だから、素直に、楽しみ「だったり」します。

 


先日生徒とこんな会話をしました。


「どういう55年を過ごすとそういうふうになるの?」
「ぼーっと生きてたらこうなった」
「うそだね! ぼーっとしてそんなんなるわけないよ!」


えーと^_^; 彼に私がどう見えているのか知りませんが、これは本当です。
ぼーっとして、やりたくないことはしないで来ました。前途有望な青少年におすすめできる生き方ではないですけどっ。


道なりに、という言葉が好きなのです。
道なりに、熱くなったりもしました。道なりに、です。


今年度もわたくしは、道なりに、ぼーっと、やりたくないことはしないで、参りますよ。
それが私の、「場」かもしれませんね。