素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

くちびるにことばを

1年前の卒業生の話をします。


高等課程文芸コースの生徒でした。
この学年は、とても「散らかった」学年でした、今となってはいい意味で!(笑)
学院の子は、マイペースで、一人で動くことが多いですが、まさにそれ。たまたま行く方向が同じならば一緒にやるけど、基本は「それぞれ」というのが際立っていたように思います。
そのクラスにいた「マサミチ」は、私の目からは現代の「高等遊民」でした。働いている今でもそういう空気をまとっているのが、彼です。


そのマサミチが、1月21日(火)の夕方6時少し前、学院に現れました。
この日はチョークストライプの三つ揃いのスーツに、紫色の縮緬の風呂敷包みを携えていました。その風呂敷に入っていたものは。


6時に校長室で校長と面会するアポイントメントを取ってあったようです。専門課程在校生の見届け人(?)も用意してありました。
そこでマサミチは校長に、文化学院院長ならびに校長に対する「公開質問状」を手渡したのです。
高等課程廃止についての質問状です。


校長室のドアが開いたままになっていたのは、私が座っている非常勤講師のテーブルから見えていました。だから覗いたり聞いたりすることは可能だったのですが、あえてそれはしませんでした。
学院は生徒のものです。そして卒業生のものです。
私はいつも、主役は生徒であり、教員というのは寝たふりをしながらそれを見守る役割だと思っています(思っているけどつい、口出し手出ししちゃうのは私の修業が足りないからです!)。このときは開いたドアを横目で見ながら、次の日の授業準備などしていました。
だから、このできごとの詳細を「目撃」はしていません。それはたぶんマサミチ自身が、必要に応じて、なんらかの形で、知らせてくれることもあるでしょう。


公開質問状は、彼が立ち上げたブログで公開されています。
  ↓

http://blog.livedoor.jp/masachichi/

 

ああやっと、と私は思いました。
やっと声を出した子がいた。
……私が学院で教えた初期の学生はもう40歳を越えて立派な大人ですが、私はやっぱり、「あの子は」「この子は」と考えたり話したりしてしまいます。そういう意味では教え子はみんな平等(?)です。
その、世代を越えた学院の「子」たちの中で、自分の思うところを、直接形にして持っていくことをしたのは、これが初めてです。


学院は彼らのものです。
だから、声を上げるとしたら、彼らのうちの誰かであるのだ、そう思っていました。


声を上げる「べき」とは考えていません。
それぞれの生き方の中で、それぞれの価値観や選択があり、「それぞれ」であるのが学院のいいところですから。
でもやはりどこかで、「惜しむものならば、自分で確認しに行けばいいのに」とも思っていました。


声とは、怒声や嘆きや単語としての「はんたーい」ではありません。いや、それでもいいんだけど、つまり……自分はどう思うか、その思いのために何を知りたいか、何を確認したいのか、どうしたいのか、それを形にする「言葉」をくちびるに上せて、当の相手に届けること。
それはどんな場合でも、大切な「表現」であると思います。


私は「書く」授業をすることが多いですけれども、そのときにいつも思っているのは、「書くのはまず自分自身のためだ」ということです。自分の内面を掘り下げる道具が言葉です。それが最初にあって、自分の思いをある程度掘り当てたら、その次に「人に伝える」が出てくる。
そういうことばをくちびるにのぼせるのは、学院の子らしい、と思います。
またそれを、一人で考え一人でやったことも、学院の子らしい、と思います。


2年前、高2だったマサミチが書いた朗読劇で、不覚にも涙が出てしまったことを思い出しました。
私は映画や演劇で感動しても、物理的に泣くことはあまりなかったのですが、その時は静かな涙が流れました。
そういう表現者の手で書かれ、運ばれた「公開質問状」は、その名称は武骨だけれども、ごくデリケートでエレガントなもののように……思っちゃうのは私の主観全開かなあ!?


今回の公開質問状の内容その他は、いろいろ工夫の余地があるでしょう。
お気持ちのある方は、びしばし言ってやってください! と偉そうですが^_^; 卒業させたからもうタニンですが^_^;  つい。