素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

「場」をつくる

10年ぐらい前の卒業生の話をします。

高等部美術科の学生でした。
その学年は、「個性」というものが外に向かって吹き出てくるタイプの学生が多くて、授業が終わるといい意味でどっと疲れたものでした。
(まあ、世間でいう「個性的」な人が多かったわけですが、個性のない人間なんかいないし。静かな個性、ペースの乱れない個性、とかもあるでしょ。だから私は目につきやすい個性を持った人にだけ「個性的」という言葉を使う習慣はないのです)。
そのクラスにいた、「ユウ」(が複数いたうちの一人)の個性は、私の目からは、おだやかで安定した空気感、でした。


卒業にあたって、みんなそれぞれの方向を選び、芸術方面へ進む学生も多い中、彼はこう言いました。
「ぼくは、自分で表現をしていくタイプではないと思う。たとえばこのクラスには表現する才能のある人がたくさんいて、ぼくはそういう人たちが集まれる場所を作りたいと思います」
カフェ、というのが彼のイメージでした。


表現するタイプでないと言いながら、彼自身がなかなかすてきな音楽をやっていたりして、表現者の面も見せてくれていたし、卒業のときの言葉はどうなるのかなあと楽しみに、遠くから眺めていました。


そうしたら昨年、いよいよ始めたというのです。
小さな古いビルを買い取って、他の友人たちと、自分の場所を作っています。文字通り自分たちの「手」で、リノベーションをやっています。


あの時の言葉、ちゃんと実現したんだ(またオープンしてないから、しつつある、ですが!)


卒業生がそれぞれの場でそれぞれに生きている様子を時々見るのは、どんなものでもとてもうれしいものです。「個性」がそもそもそうであるように、何か形になるものをやっているということだけでなく、ちょっとした生活の端々から、その人らしい様子がうかがえるのが好きです。


ユウの場合は、「場をつくる」というアイディア自体がイマジネーションに満ちています。
彼らしいしね。


こちらがリノベーションの様子がわかるブログです。

The Renovation Will Not Be Televised


これを読んでいたら私も手伝いに行きたくなっちゃったけど、まあ、そこは若人らに任せて、出来上がったら優雅にお客に行きたいと思っています。

 

文化学院の創設者、西村伊作駿河台に土地を買ったときのアイディアが、やはり「場をつくる」だったようですよ。
伊作は最初は、芸術家の集まるところにしようと思っていました。それが、与謝野晶子との会話などから、自分の娘を通わせる学校にしよう、となったようです。


今その駿河台の土地はすでに学院のものではなくなったわけです。
法的に適合であっても、理不尽と感じさせる対応によって学校は移転します。私はその問題点をうやむやにするのはよしとしない。
しかし、同時にこう思うのです。


要るなら創ればいいじゃない。


失われゆく学院が、ほんとうに失いたくないものであるならば、つくればいい。
もし創らないなら、それはほかにもっと優先のものがあるからで、ほんとうに要るじゃないんだよ。
ほかにもっと優先のものがあるならば、それをつくっていけばいいだけのこと。


私は、大きな「喪失」を知らずに55年生きてきたわけではないので。
喪失の痛みはよく知っているし、痛みを叫ぶことができる人は叫ぶとよいと思います。


ただ私は、何よりも「創る」ことが大切でおもしろいと思っており、だから、学院でセンセをやってきたのです。


さあ、ともかく今はユウの「場を創る」の経過を見るのが楽しくて、完成したら行くのが楽しみで! 
なのです。