素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

「文化学院にもの申す」

瓢箪ならぬ冗談から出た駒、でした。

 

文化学院にもの申すvol.2~特集・文化学院は何を守ろうとしているのか』コピー誌約40ページ、の話です。

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高等課程文芸2年の有志が発行したフリーペーパーです。
昨年末に創刊し、年明けに出たVol.2では、高等課程廃止と移転について、思うところを素直にに述べています。
生徒3名とマキコ先生との「対談」(これを座談会と言わない辺りに畏怖の念が^_^;)が、まさに「ぶっちゃけぇ」です。
3名は、学校から生徒への発表・説明の場にももちろんいたし、第一回の保護者向けの説明会も聴いていました。
そこで持った疑問、思い、失望、希望、等々、じつに率直に語り合っているのです。

まさに、「くちびるにことばを」。


新課程になってからできた「文芸コース」では、2年生で「雑誌制作」という授業があります。
旧課程の時代、私の国語の授業の最後に短歌集を作っていた時期があるのですが、それが充実した感じです。自分たちの作品を載せる雑誌を、企画・編集・発行すること自体が目的の授業です。
自分の想いを言葉にし、言葉を手にとれる「形」にし、残したり人に渡したりする工程。
それを体験するための1年間です。

授業時間はほぼ編集会議で占められます。
その会議の中で、メインの雑誌とは別に、変則的に出てきたのがこのペーパーです。


今年の2年生は、10月の「秋の集い」(文化祭)に、小説誌を発行しました。一つの小説を全員の分担で組み上げるというチャレンジ。なかなかの力技でした。
同じ学院生でも、学年によっておもしろいくらい雰囲気が違うわけですが、この2年生は力を出し惜しみするのが好きです。「1冊出したら終わり、あとはまったり受け身の授業がいいよー」みたいに言っていたのですが………1冊出したら早々に次の編集長の立候補があったり、なんのかんの言いつつ「作りたい」人々だなあ、と思います。

 

そんなところに降ってきたのが、「高等課程募集停止→廃止」の発表だったのです。

 

授業ではそれに特に触れることもしませんでしたが……。
二冊目の雑誌の企画会議で、「特集テーマ」について話し合っていたときのこと、過去3年間の特集を参照していたら。2年前のテーマが彼らにウケました。
特集「現代日本にもの申す」
もの申すっていいよ! と盛り上がり、「モノモースっていう音がすでにいいよね」「でも何にもの申すの?」「うーん、文化学院にもの申す、とか!」あはははー、きゃっきゃっ……(編集会議はしばしば、昼間っから「夜中のテンション」になるものなのです)。
いやそれマジでおもしろいんじゃね? と私は言いました。


そのころ、私はある閉塞感を感じていました。
発表のあと、それについての言葉がほとんど出てこない。

 

まあ、高等課程廃止になっても在校生の学ぶ権利はそのままだし(その時点では校舎移転のイの字も出てないので)、スルーしていいことなのかもしれない。でも、もし、ぜんぜんたいしたことがないならば、逆にもっと出てくるようにも思う、何かが引っかかって形にならないでいるのじゃないか。

 

私にはもちろん思うところはあったわけですが。しかしそれを教員から先に言うもんじゃないと思っていました(その後、ちょっとしたきっかけで、文芸2年のメンバーにはかなりぶっちゃけちゃったのですが、まあ、いちおう抑えてたんですっ)。

生徒たちが、思っていることをお利口に奥にしまっておかないで、言葉にしてほしいと思いました。
いつでも、どんなことでも、そう思っています。
そして、こういう変動のときには、特に。
自分の中にあるやわらかな感情の動き。それを大切に掬い上げて、言葉にしてほしい。
今の感情は、次の時間にはもう過ぎて行ってしまうものなのだから。

 

そのためには、その時々に出せる軽い媒体がいいかもしれない。
生徒たちも、ちょっと言ってみたい、ペーパー作るのおもしろそう、と思ったのでしょう。数人がさっそく動き出し、私は完全お任せモードで眺めるだけで、『文化学院にもの申す』vol.1ができあがりました。
冗談から出た駒!

 

それを読んだ時の私の反応は、vol.2の対談の中で語られています。

 

つまんねえ。
きみたちはもっとできる!

 

そう言いました。
彼らの書いたものは、素直ではありつつ、でも高くガードを張ったものだったのです。
何を警戒してなのだか、防波堤を築いた文章に見えた。
いや、あれも本音だろうしおもしろかったけど、昼間の夜中テンションの中で発せられた言葉の断片を聞いた私からすると、上手に核心をよけてまとめてきたな、というものでした。
そんなのが読みたいわけじゃないよーだ。

 

自分を守ってしまってつまんねえ。
きみたちはもっと自分を解放して語ることができる!

 

そういう意味です。
生徒にはいつも、「ゼロと1の差は、1と2の差よりも大きいんだぞ!」とエラそうに言っている私です。ささやかでも一つ形を作ることは、黙っていることとは大違い。vol.1はそういう意味ですでに快挙です。
でも、彼らにはまだもっと違う言葉があるはず、と思いました。
そういう私の勝手な要求水準とは別に、12月のクリスマスパーティーのときに配布して、周りの人たちから好評を得ました。
それで、vol.2もすぐに作るノリになったようです。

 

そして、その計画中に、今度は学校の移転が発表されます。
在校生にとっては極めて現実的な問題が降りかかってきたのです。

その衝撃が、彼らのガードをなぎ倒してしまったのかもしれません。
今度は、移転と高等課程廃止という問題にダイレクトに取り組みました。
vol.2の長い「対談」は、彼らの生の言葉が並んでいます。
会話をほとんどそのまま記録しているので、吟味したり深めたりしたものではないけれど、しかし巧まず吐き出した、「その時の」言葉。
そういう言葉は、私はとても大切だと思うのですね。

 

げーしてしまいなさい(笑)

 

私の「価値観」からすると、それは生徒だけでやってくれるのが一番いいわけですが、でも、マキコ先生という「触媒」を選んだのも彼ら自身なので、いいかな!


彼らはこれを校内で生徒や教員に配布し、校長室には3部持って行ったそうです。校長先生の分と、「できれば理事にも渡してください」ということで。そのとき校長がいなかったので、メモつけて置いてきたようですが。
それはもちろん、ペーパー発行の大切な最後の工程ですね。


以上は、私の視点からの記述なので、彼ら本人の思うところはまた別にあるかもしれません。それならば、またVOl.3、vol.4を出していけばいいだけです。

 

そうそう、対談を終えてすぐテープ起こしして、でもまだ冊子化に手間取っているうちに、卒業生のマサミチが「公開質問状」を持って学院に現れました。
そのとき、「もの申す」のデスクは、「先を越されたー!」と叫びました。

 

いいぞ、くちびるにことばをのぼせる人々!