宇宙戦艦と学徒兵
この8月はFaceBookでも戦争関連のことを書かなかった。
8月だから言わなきゃいけないってもんでもない。戦争は何月でもやっていたのだから。
なぜ8月かと言えば、それは「終わった」月ではなく、「始まった」月だからだろう、戦後生まれの私たちにとっては。
8月の最後の日、やっぱり書いておこうかなと思った。
と、なんだか大上段で書き始めたが、他愛もないことを書くつもりでしかない。
言い換えれば、他愛もないことの中に「始まった」が織り込まれているのが現代なのだけれど。
先日、漠然とテレビをつけていたら、「ガンダム」の話題が出ていた。
そのとき、同い年のヲットがこう言った。
「ガンダムはいまいち知らないんだよな。ぼくはアニメ好きじゃないのもあるし、世代がちょっとずれたからね」
ちなみにヲットは特撮好き(文字通りの「特殊撮影」好き)なので、それ系は世代がずれてもわりと見ている。
「『ヤマト』までかなあ、ああいうの見たの」
『宇宙戦艦ヤマト』は、私たちが高校生の時にテレビ放送が始まった。同級生たちに人気だった。
でも私は見ていなかった。
最大の理由は、そもそもその頃(中学~20代)、テレビをほとんど見ていなかったこと(ニュースと天気予報と、たまにドキュメンタリーは見た)。
9割方紙人間で、文学と新書と、エンタテイメントは漫画の単行本(雑誌は読まない)だった。
つまりすべてのテレビアニメに興味がなかったというのがデフォルトで、ある意味同世代と話が合わない。
友人たちの話を聞いて、まったく興味を持たなかったわけでもないのだが、聞きかじりの段階である種の違和感が邪魔をしていた。
私の世代では、親の多くが「昭和一桁」、若ければ昭和10年代である。戦争中に子供だった世代だ。ヲットの両親もそうだ。
私は、両親と年が離れている。
父母ともに大正12年、1923年生まれである。
つまり、1945年には22歳。
私が当時同世代の高校生たちと違う感覚で「戦艦」という言葉を聞いたのは、父が実に曲りなりに短期間であるが、「帝国海軍」に所属したからだろう。
学徒兵である。
大学生は、当初は20歳になっても徴兵の猶予があったが、1941年以降、猶予対象枠は狭められていく。父は私立大学予科から徴兵された。
大学に行けばしばらく大丈夫だと思ったのに、が本音だったそうだ。それでも当時の青年として、覚悟は決めて訓練を受け、「学徒出陣」の群像の一人となった。
大学時代、仲の良い同級生4人組みで語ったり遊んだりしていたようだが、その4人もバラバラに配属され、戦後しばらくたつまで様子がわからなかった。
結果から言うと、父は大きな負傷もなく帰還し、友人三人は戦死していた。
60年代、私が幼稚園のときだと思うが、確か父は海軍をテーマにしたラジオドラマに関わっていて、ときどきその未完成のナレーションが家のオープンリール(テープレコーダー)から聞こえていた。
私は幼かったので脈絡はわからなかったが、「むさし」「ながと」「やまと」などの言葉はその時覚えた。
「古い国の名前がついているのはセンカンだよ」と教えられたことは覚えている。
「戦艦」が現実の乗り物であり兵器であり死であるという記憶と実感を持った人間と、同じ屋根の下で育ってしまったのである。
戦後生まれ高度成長期の申し子の癖に、なにしろ感受性豊かなので、その感覚を自分の中にかなりコピーしてしまったように思う。
だから、同級生と同じように、フィクションとして、ファンタジーとして、エンタテイメントとして、「うちゅーうせんかん、やーまーとー」というノリにはどうも踏み切れなかったのかもしれない。
放送当時、父が少しだけそれにふれたことがある。戦艦大和など作っている時点で軍部の見識のなさは明らかで、それは単に大和を沈めただけでなくそれ以外の戦闘での敗北と死すべてを作り出したのだと。そんなもん復活させてどうする、と鼻で笑って、黙った。
『宇宙戦艦ヤマト』制作に関わった中心的な人たちは、父よりも10歳~15歳下の世代である。
戦争中の小学生の男の子たち。ものがない、ひもじい、家族が出征して死ぬ、という体験はしている世代である。
それと同時に、戦艦や戦闘機を「夢」として育った世代でもある。
あの作品はまさしく、その世代の男の子たちの夢丸出しのものだった。
戦艦も夢、古き良きまだ宇宙に飛び出していない時代のSFも夢、として大人になった男の子たちの夢の結実が『宇宙戦艦ヤマト』である。
そういう意味で作品としてよくできていると思う。
戦争当時の学徒には陸軍より海軍の方が人気があり、父は趣味が「登山と乗馬」だったにも関わらず海軍に配属され、それを喜んでいた。戦後でさえ、海軍にいたことは少し誇らしげで、そういう意味ではその「戦中の男の子の夢」は彼も持っていたのだった。
だから『宇宙戦艦ヤマト』への違和感の方だけ受け継ぐいわれはないし、のちにパロディ漫画をきっかけにそのおもしろさに気付いた。それでもどうしても、夢と死線の相剋の際から見てしまう部分は、私の中から消えていかない。