素敵な学校

これからの人類のために、自分の快適な生活のために、すてきな学校を考えます。

放課後文芸


去年の冬、まだお茶の水の旧校舎にいたころのことです(中庭があったのは旧旧校舎ね)。


当時の高等課程1年生美術コースの生徒で、しょっちゅう文芸コースの授業に遊びに来ている子がいました。
当然美術の時間を抜けてきているわけで^_^;
でも、2時間続きの授業で、私も休み時間は毎回の流れによってとっていたし、ほかの授業もチャイム通りの休み時間ではないことが多かったと思います。彼も最初のころは美術の時間の休み時間などに来ていたのです。
そのうちに、ちょっと待て、休み時間長すぎやしないか? というぐらいいるようになって……。


まあ、古文でもやりはじめれば飽きるだろう、と思ったら飽きない。文法は飽きるだろう、と思ったら飽きない。
むしろやりたいと言う。


じゃあ、自分の授業をさぼらないで、放課後の時間を使ってでもやりたいというのなら、面倒見てやろうじゃないか、と言いました。


そして彼は本当に放課後やってきた。


こうして、最初は一人の美術コースの生徒のために、文芸コースの授業でやるような古文をちょっと読むことからスタートしました。
週に一回、2時間ほど。
講師の一人が、高校時代を海外で過ごしたので古文の授業を受けたことがないからと参加するようになり、通りすがりの生徒がなんとなくそのまま参加する羽目になり……私も含めてたいてい4人で、ゆっくり古文を読んでいました。
旧校舎は非常勤講師のスペースが広かったので、そこのテーブル一つでやっていました。


なんとなく、「放課後文芸」と呼ぶようになりました。


そのうち、ほかにも参加したい人が出てきて、変則的ではあったけれども人数がちょっと増えることがあったので教室を取るようになりました。
両国に移転してからも、このペースは続きました。
講師スペースが狭くなったのと、参加人数が微妙に増えたのとで、教室を取ってやるようになりました。
最初の生徒、自称「部長」は、2年に上がるときに文芸コースに転科してきたのですが、それはそれ、これはこれ、みたいです。
まあ、私が文芸2年で持っているのは「雑誌制作」の授業で、古文を読んだりする時間はあまりとれないので、希望者だけで楽しむのは悪くないです。


最初のころは、一回完結で読める説話が入門にはいいだろうと、『宇治拾遺物語集』から選んで読んでいました。
そのうち、雑談中にみんなが『源氏物語』の「夕顔」の巻を読みたいと言い出しました。
私もとても好きな巻ですが、しかしなんといっても今の力量では源氏は読みづらい。
そこで、時代背景の解説なども併せて『伊勢物語』を少し読んでから、夕顔に入りました。
最初はみんな「やっぱり源氏難しい!」と言ってぜんぜん進まなかったのですが、だいぶ慣れてきました。
まあ、難しそうな単語や文法は、私がさりげなーく妖精さんのようにサポートしちゃってるんですけどね。
でも、週に一回でも、自分たちで原文を読んでいると違うなあと感心しています。最初はサポートする私が、濡れた砂袋を引きずっている感じだったのが、ずいぶん軽やかになってきました。


この夏休みは、「部長」はじめ2年生の面々は雑誌編集のためにけっこう学校に来ています。
それじゃあということで、私も週に一度は学校に行って、夏休みだけど「放課後文芸」です。
夏休み中は、いつものメンバーがいないこともありつつ、2回ほど、それぞれ別の卒業生も顔を出したりもしています。


こんな感じのこと、そういえば10年ぐらい前の生徒とやったことがあったなあ。短期間だったけど。
あのときは古文じゃなくて、短編を読んでました。

 

私が卒業したとよたま高校でもこんな感じのことはいくつか行われていました。
その後私が第2の専門とするようになったセクシュアリティのことも、高校時代の放課後に始まっていたのでした。


私はバイトなんで、放課後や夏休みはタダ働きっす。夏休みは交通費は持ち出しっす。
だからこれは「趣味」です。
生徒と私が飽きないうちは、のんびり趣味生活を続けます。

 

 毎回の様子は、文藝文化のtwitterで簡単に報告しています。